私の手
朝日が背中からやってくる。
太陽、やっと追いついてきたか。
今が寒さの底だろう。
凍った道にもだいぶ慣れた。
すべる路面にわくわくするくらいだ。
毎日を見ていても気づかないが、
月の単位でながめれば、昼の時間はずいぶん延びている。
時間だけは過ぎていくなあ。
先日、
後輩が担当したお客さんが仕事場を訪ねてくださって、
この半年の間、大病をなさって入院されていたことを知った。
後輩は休暇中で、私が代わりに話を聞かせてもらった。
身体にメスを2度も入れるほど大変なことだったらしい。
だいぶ痩せておられるが、目に宿る力は大病なさる以前よりも強かった。
療養中にはいろんなことを考えたと話され、
そのとき書いたという詩を見せてもらった。
歩く。
歩きながら考える。
考えたことを吐き出しながら歩く。
気持ちが腐ることもある。
でも必ずそれに気づくいてくれる人がいる。
その人は黙っている。
黙って聞いてくれる。
ひとしきり聞いた後、ゆっくり背中を押してくれる。
押された背中に残るのは、その手の温もり。
もらった力は歩いた人のものになる。
そしてまた歩き出す。
読ませてもらったあと、こう話された。
「この詩を書いたとき私はたしかに『歩く』人だった。」
では、今は?と聞いたら、
「今もそれは変わらない。でも、私の手にもできることはある。」と話された。
「私は周りの人に支えられた。支えてもらって生き延びた。
生き延びた私にできることを探していたら、
自分の手にも温もりが戻ったことに気づいた。そしたら急に涙が出た。
出てくる涙が熱かった。嫁さんの前で大声で泣いた。
ええ歳して、おかしいじゃろ。」と照れくさそうに話される。
目に宿る力はそういうことかと、すとんと腑に落ちるものがあった。
いまその温もりをもらったのは、私か。。
苦しい時、人は自分だけを見ている。
そんなに苦しい時でなくても自分のことばかりを考えがち。
大きな病気をするとそんな当たり前のことに気づくよと教えてもらった。
毎日をなんとなく過ごしていると、いろんなことを見落としている。
お客さんに訪問していただいて、
自分の意識にかかった「かすみ」を払ってもらった気がする。
ありがとうございました。