ナイスファイト

帰りにサウナに寄る。

最近見つけたのだが、穴場のようで人が少ない。

夕方の混みそうな時間帯でも、浴場で同時に4人以上見たことはない。

潰れない程度の集客はあるのだろう。

静かで落ち着いた雰囲気が気に入っている。

勢いで回数券も買ってしまった。



サウナ内の気温は90℃前後と高めの設定で、

最高で96℃を見たことがある。

なかなか攻めてくる感じがいい。

室内は8畳くらいの広さで、

板張りの壁に沿い、階段状の座面が設置されている。

最上段の三段目に座ると、ものすごい熱気に囲まれて息がしずらく、

わりと手軽に茹で上がることができる。



身体を洗い、露天風呂につかって軽いウォーミングアップをしていると

一人の男性客が、となりの女湯に入っているらしい奥さんと壁越しに話し始めた。

ふたりは大きな声で女湯と男湯の構造の違いを確認しあっている。

女湯の露天にお客はその奥さんひとりで、

風呂の上に組まれたやぐらの明かりが消えて恐いらしい。

男性は顎ヒゲをなでながら、その報告を聞いている。

しばらく間があいて、男性が話し始めるが、壁の向こうから返答はない。

奥さんはどうやら別の湯へ移動したらしいことを悟ると、

男性はちらっとこちらを見て咳払いをし、湯をくみ上げて顔を洗った。

なんて平和な光景なんだろう。



サウナ前に長湯もしたくないので、

早々に風呂からあがり、水を一杯飲んでからサウナへ入る。

すでに先客が一名あった。

ものすごく体格のいい中年男性だ。入ってすぐの中段に座っている。

筋骨隆々としていて、入口に陣取られると威圧感がある。

彼を「マッチョ」と呼ぶことにした(心の中で)

マッチョは大粒の汗を全身に浮かせていたが、まだ息は乱れていない。

入って3~4分というところか。

ワタシは奥の上段へ上り、暖炉の一番近くに座った。

サウナの全体が見渡せる位置だ。


ワタシが入って、1~2分後、先ほど壁越しの話をしていた男性が入ってきた。

ヒゲこそ立派だが、よく見るとワタシより若そうな顔をしている。

彼のことは「女湯」と呼ぶことにした(心の中で)

女湯は場所取りに時間を要した。サウナ慣れしていないのか。

ようやく決めたのは室内やや奥の下段で、そこに座った。長丁場で入るつもりか。


このターンは、マッチョと女湯とワタシの三つ巴で始まることになりそうだ。

三人そろって1分後くらいに、各々の心のゴングが鳴った。

言葉は交わさないが、ほぼ自動的に誰が先に出るかを意識しあい始めたのだ。


時間的に不利なのはマッチョだ。

おそらく入室してから5分は経っているはずで、

全身から汗が流れだし、息も乱れ始めている。

大きな呼吸と、腕や腹の汗を拭う動作が頻回になってきた。


位置取り的に不利なのはワタシだ。

暖炉の一番近くで、しかも最上段に座っている。

最も短時間で茹で上がれるのはこの場所だ。

すでにマッチョと似たような汗のかき方をしている。

ここで深呼吸をすると、限界が近い印象を与えそうなので平常を装い堪える。


時間も位置取りも有利なのは女湯である。

一番後に入り、しかも下段に座っている。

上段との体感気温はかなり違う。

あまり汗もかいておらず、じっとして動きも少ない。


まずは時計とにらめっこをしている体を装って、他の出方をうかがう。

ゴングから4分半、マッチョが「ふ~ん」と息を吐き、足の位置を変える。

おっと、膝に手を置き、ん、立ち上がりそうで立たない。

フェイントか。やる。

顔は赤く汗だくだが、また目を閉じて息を整えている。

そんな陽動にはかからないぞ。


ワタシも「んんっ」と咳ばらいをして肩から吹き出る汗を拭う。

わざと動作を大きくしてみる。

女湯はこちらをちらっと見る。そして時計も見る。

お、息が荒くなってきたか。膝に手を置き、頭を下げている。

女湯、君は暑いのか、ふふ、そうだろう。90℃とはそういう世界だ。

落ち着かない様子が徐々に伝わってくる。

しかし、ライバルたちの陥落までにはもう少しかかるか。



よし、こういうときこそ、瞑想だ。

胡坐をかいて、両手を膝に置き、目を閉じてゆっくり息をする。

息をすることのみに気を注ぐ。

こんな気温下ですることではないのだろうが、

これがかなり集中力を高める。

目を閉じているのに、ライバルたちの状況がよくわかる。

こういうせめぎ合いの場で、もっとも有力な情報は音だ。

立てる音が大きくなるほど、その人の限界が近づいていることを意味する。

フェイントでガサガサやって気配を操作するのは、そういうことだろう。


暑い。暑いぞ。

しかし、まだ茹で上がってはいない。

耐えられる。

無駄なフェイントで消耗するより、

気配を消してライバルの焦りを誘っていこう。

ちらっと時計を見る。開始から7分か。


ぎしっ!

おお、マッチョが立った。

さすがにきつかったのだな。ぼたぼた汗が落ちる。

顔を撫でながら、ゆっくり扉を押して出ていった。

マッチョ、ナイスファイトだった。

ゆっくり休んでくれ。


マッチョが外で水風呂に入る音がする。

ああ、いいなあ。

と、扉が開く。

あれ、マッチョがまた入ってきたか?


いや違った。体格は似ているが、身体が一回り小さく、しっかり日焼けしている。

新手の入室か。

彼はマッチョの居た場所より少し奥の上段に座ると、

室内の時計を見ながら、自分の腕時計のボタンを押した。ピッ。計るのか。

彼は「ウォッチ」だ。(心の中でそう呼ぶ)

ウォッチが本格的に座る位置を定めて、心のゴングを鳴らすのが聞こえた。


それとほぼ同じに、女湯が立ち上がり出ていった。

開始から8分か。

女湯、ナイスファイト。

壁の向こうの奥さんと、ゆっくり話でもしてくれ。



さあ、ここからはワタシとウォッチの一騎打ちだ。

条件は圧倒的にこちらが不利だ。

ウォッチはまだ、まったく余裕の状態で上半身のストレッチなどしている。

ああ、サウナ前に余計なウォーミングアップなどしなければよかった。

瞑想も解けて限界は近い。

10分の壁が大きく見えている。


普段、風呂で温めてからの第一ラウンドは10分くらいで限界がくる。

水風呂休憩でじっくり冷やしてからの第二ラウンドでは、

15分の壁も余裕でクリアできるのだが

ウォッチとのせめぎ合いは第一ラウンド終盤からのスタート。

これはきびしい状況だ。


ウォッチから様子を伺うような、先制の咳払いがくる。

「うへんっ、へんっ!」これは煙草を吸う人の音だ。

呼気が独特な短さでしぼむ。

しかし喫煙は、暑さ我慢に関係ない。

時間を計っているあたり、そうとう慣れているし、おそらく常連クラスだろう。


続けてクシャクシャと顔を粗っぽく拭く動作か。

かなりこちらを意識して音を発してくる。

余裕の気配で圧倒してくるぞ。

やるな。


開始から9分。

しかたない、禁じ手をやるか。

ワタシは上段に座っていたが、あっさり下段に下りて座り直した。

これはズルではない。

ハンデを解消しただけだ。

滞在時間が長い分、温度域を下げて調整したのだ。

おお、下段、こんなに涼しいのか。

まだいけるか。

ちらっ。

10分だ。

長かった。ここまで途方もなく長かったな。

目標は15分か?

いやいや、それは命にかかわる気がする。


ウォッチの状況はどうだ。

おや、時計を見ている。汗もだいぶかき始めた。

マッチョほどではないにせよ、ウォッチもそれなりに身体が大きい分、

消耗も激しいのか。

ワタシより10kgくらいは重そうだ。


11分

ウォッチ、ワタシとも動かない。

ああ、でも暑い。もう水風呂に入りたい。

汗が止まらない。顔も腕も汗を拭う。

尻の下はびっしゃだ。

暑い。あついあついあつい!


12分

頸動脈がびゃくびゃく鳴っている。

HR100は超えている。

こめかみがずんずんする。


12分半

お、ウォッチが動く。

んん、少し奥に座り直した。

立つ?いや、立たないのか。違うのか。

かなり顔は赤いぞ。短時間でかなりキマってきたのはたしかだが。

腕時計を見た。あれ、ピッ!

なぜ押した?計るのを止めた?

どうした。

まだぜんぜん余裕ってことか。


あ、目が合った。

会釈された。「あ、どうも」的なやーつ。

しかも微笑まれたー!


13分

参った。ワタシは限界だ。

くらくらしながら立ち、扉を押して出る。とびら重い。

きっとウォッチは思っただろう。

Tちゃん、ナイスファイト。

ありがとう、ウォッチ。


扉が閉まりかけたところで、もう一度、ピッ!と聞こえた。

ラップされたのか。完敗だ。

がんばってくれ、ウォッチ。


ワタシはもう我慢できない。水風呂に入るよ。

いつかまた、再戦させてくれ。



かかり水で心臓が止まりそうになる。

たまらない。

どっぷ~~ん。

水風呂、最高。

身体の芯まで冷やし切ってやる。



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他はどうだか知らないが、

ワタシにとってのサウナは、いつもこんなせめぎ合いが繰り広げられている。

無言のせめぎ合い、男たちは常に戦っているのだ。。