夕陽の赤さ

負け試合のあとで、

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たんぱくな肉を焼きながら会合を開く。

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右側のおっさんに呼び出されたついでに、

左の腹を空かせた青年も連れて行くと、

「ここ一か月分くらいのタンパク質を補えました。」

と、相変わらずの準飢餓的な食生活事情をこぼします。

この豊かな時代に、なんということでしょうか。

おっさんからもっとむしり取っていいんじゃないかと思います。


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悪い顔をして、オトナのあぶくを舐めています。。

リョウシュウショという食べ物が大好物だそうで、

焼いた肉をくるんでは、ガツガツと食べていました。。



〆の

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桜茶漬けです。

あつあつの茶を、桜肉の漬けがのった飯にぶっかけます。

おっさんふたりと腹を空かせた青年は、

無言で流し込みました。。




次の隠れ家に移動してからは、

オトナの時間が流れていました。

あぶくの好きなおっさんは飛びきりのブルーベリーカクテルによろこび、

青年は標準理論を持ち出して、世界は何からできているのかということについて

意気揚々と話します。

向こうの席では、人類が絶滅した後の夕陽は赤いのか?という

哲学的な話で盛り上がっていました。

夕陽の赤さは観察されてこそ、それが赤いということがわかる。。

最初から結果の決まっている現象は存在せず、

あらゆる現象は観察された瞬間に「破れ」が生じるんだそうです。

いいですね、こういう話。


誰にも知られていない森の奥の大木が倒れる音は、

誰も聞いていないけれど、

それは大木が存在しないということを意味するわけではない。。



「ああーーああああーー。おッ前ら!」と、あとから隠れ家にあらわれたおいさんが、

なんの話からそうなったか覚えませんが、

「何かを決めるときは、父親じゃなくて、母親に相談せいよ。かならず自分が思うことと違うことを言うてくれるから。」と、

なんかわかるようなわからんような感じのことを言っていたのが印象的でした。


「なんか始めるときは結果を考えて動くんよ。わかるか。結果なんよ。」とか、

「言葉は浅はか。ものごとの表面でしかないんよ。行動なんよ。わかる?」なんて、

酒瓶に向かって話していました。。

「お前は何のために生きるん?何のために働くん?いま何しよん?」

青年に向かって真面目に問うおいさん。。

とにかくめんどくさくて、もはや親父イズムテロです。。

いちいちズッキューン!してくるので、

(いやいやですけど)全部文字に起こして、

(しょうがないので)胸に刻んでおいてあげようと思います。。






そういえば

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今日は母の日でしたね。

おめでとう。ありがとう。

母への感謝を忘れてはいけませんね。

みなさん、今日は何をしましたか?