石垣に学ぶ
ここ数年、質的にも量的にも、
目の前の現実と向き合い、どういう未来を望むのかを明らかにする営みです。
以前よりずっと深く山へ親しむようになっています。
そこで気づくのは、近所のちょっとした山でも
昔の誰かによって作られた遺物がたくさん眠っているということです。
ここは谷を削って整備された石垣棚田の跡ですが、
ワタシたちが遊びで作る石組みトレイルとは規模がちがいます。
谷に沿って延々と続く棚田があり、大きな石切り場の跡まで見られます。
当時の人の生活がかかっていたのですから、桁違いなのは当然ですね。
使われなくなった今はご覧の通り、天然の樹木が根を下ろし、
場所によっては杉が植えられ、自然の力であるべき姿に戻ろうとしていますが、
ここには確かに人々の生活があったのだと気づかせてくれる場所です。
森に眠る石垣は誰かの手によって作られました。
麓の方に聞く限り、100年以上は経っているとのことなので、
今はもう会えないであろう誰かが残したものです。
自然界の時間では、100年なんて針の先ほど、ほんの一瞬の出来事ですが、
ワタシたちヒトの時間では何世代か入れ替わるほどの長い長い時間です。
眠りにつこうとする石垣は、
人の持つ「世代を越えて何かを残す力」の凄味を感じさせてくれます。
ひとりで整備作業するとき、ワタシは昔の人の組んだ石垣を見て、
そこから石組みの方法を学びます。
誰かの残した石垣というカタチあるものから、
「技」や「コツ」という目には見えないものを読み取ろうとします。
そこに昔の人の意図や暮らしの工夫を見つけます。
人が人に残す何かにおいて、
目に見えている部分は、わずかなものかもしれません。
石垣を眺めながら思うのは、
人が人に残せるものとは、
形ではなく、知恵なのだということです。
知恵とは単に「石を組むための知識」ではありません。
知恵とは、人々の生活や暮らしを守るためのものです。
たしかに存在するけれど、目に見えるものではありません。
もちろん、石垣という形は残るのですが、
それらはいずれ土に埋もれ、水に削られ、
ゆるやかな崩壊を経て自然に帰っていきます。
形は未来永劫まで残りません。
石垣に込められた知恵は、見る者の中に残ります。
ただ見るのでなく、注意して見る必要はありますけれども。。
人の中に残る知恵は、人を介し、ものを介し、
受けとめたそれぞれが考え続けることで更に洗練され、
より長く受け継がれていきます。
見えないけれどもたしかに存在する、人にとって欠かせない宝です。
人が人に残すもの、
人によって繋がれるもの、
脈々と受け継ぐべきものをよく考える。
埋もれていく石垣は、
自分のことばかりに目を向ける生き方を卒業しなさいと、
ワタシを戒めてくれています。
ワタシが誰かに残せるものは何なのか。
あなたが誰かに残したいものは何ですか。
目に見えない何かを見る力、大切です。