厄介

このところ多く感じる事柄をぽつり。。


ここ最近、某国間の荒っぽいNEWSから、

「人は心象で人を見る」ということが

どんどん極端化しているなと感じます。


荒っぽい手段に訴える人たちは、目の前にいる人とどれくらい現実的な関わりを持っているのでしょう。
そもそも、人を理解しようと努めるマインドが欠けているのかもしれません。


人を理解するという現象は、

瞬間的な心象に後から意味づけをしていくことで成立することが大半です。

人と接しているとき、まさにリアルタイム的にどんどん新たな解釈を広げ、自分の考えを自由に作り変えてしまう柔軟性に富んだ人はごく稀な存在でしょう。

たいていの場合「あのときあの人はあんなことを言った。そうかそういう意味だったか」のような

思い返しの作業がゆっくりとその人の心のかたちを決めるのだと思います。


しかしながら瞬間的に人から受け取る心象というのは、

往々にしていびつで不揃いなので、

全てがスムーズに意味づけされるわけではありません。


自分の考えの「枠」にしっくりはまる内容であればすんなり腑に落ちるのですが、

スムーズに処理されない心象は、

いわば心の「負債」となって焦げ付いていくことがあります。

これがなにかと厄介なもので、

拗らせるほどに、どんどん凝り固まって、終いには何も譲り合えなくなってしまう。

柔らかさを失った人の中でおこる悲しい現象です。


NEWSで聞いた某国間の激しい対立や、処刑がどうのなんて凄惨な出来事は、

こんな厄介な現象に振り回された結果なのでしょう。

人によって考え方や感じ方の違いはあって当然なのですが、

それを愚行の口実として利用されてしまっているのは、とても残念で悲しく思います


いびつな心象をうまく処理できなかったとしても、

それを一方的に人にぶつけてしまうのは間違っています。

それは何の解決にもならないし、いずれ報復を食らうはめになる。

天に唾を吐いている自分の姿は、なかなか自分に見えないものなのでしょうか。。





こころの中に極端なものが湧き起こるのを感じたときは、

間違いの始まりだと思ってよい。

それを自覚できる人でありたい。