エレベーターの論理
エレベーターは、
建物の中で人が移動するために使う道具です。
乗降口のボタンを押せば、呼ばれた階へ速やかに移動します。
もちろん、エレベーターには
「呼ばれたから行かなきゃ」なんて意思があるわけではなくて
ひたすら単純な論理にしたがって動いているだけです。
最も効率良く稼働するように、そのように仕組まれているから、そのように動くのです。
仮に全階一斉にボタンを押すような複雑な指令を与えてみても、
論理的に導かれた優先順位にしたがって、その意地悪な指令をこなしていくのです。
エレベーターに限ったことではなくて、
日常的に関わる電化製品たちもすべて同じような仕組みで動いてます。
もしも、機械たちが論理に従わず、気分次第で動き始めるとどういうことになるでしょうか。
エレベーターは乗せたい人しか迎えに行かないし、
クルマも途中でエンジンを止めるかもしれません。
パソコンだって、嫌いな人には正しい計算結果を与えなくなるでしょう。
効率はお構いなし、論理性など全く無視の情意至上的な行動を起こす機械たち、
よくあるSF映画のような状況が見えてきますね。
現代的な生活は、それだけ効率を求める論理に支えられているのです。
「本音」と「建前」も似たようなものですね。
情意むきだしの「本音」ばかりでは、人と人の関係はうまくいかないでしょう。
一方で、効率優先、論理性重視の「建前」は、上手く使えば便利なのですが、
そればかりになってしまうと、真意の見えない表面的な関係しか生まれません。
情意と論理、相反するものだということには違いないのですが
人の生活において重要なのは、どちらか片方だけでは機能しないということですね。
今日は、ここのエレベーターに乗りながら
そんな当たり前のことをじっくり考えたのでした。。
おしるこ、温いやつはおいしいですね。