お盆のはじまり

8月12日(火)

お盆ですね。

ご先祖様や家族の御霊が帰ってきます。

一足先に迎えに行って参りました。


御霊のことを思うとき、

人と人との関係を考えずにはいられません。

そもそも、人と人の間にあるものって何なのでしょうか。。


お盆には亡くなった人の魂を迎えに行ったり、送り出したりします。

もちろん特殊な能力でもない限り、故人の魂なんてものは目で見ることはできません。

人によっては、そんなもの存在しないという意見もあるでしょう。

それでも迎えて送り出すという習慣が続いているのはなぜでしょうか。


それは、相手がこの世にいてもいなくても、

その人との間で交わされた情や思いを大切にしたいと思う人がいるからです。

つまり、人と人との間に交わされる思慕の念は、

時間や空間を飛び越えていくほど、強いつながりを持っているということです。



人の情というのは何よりも強い。これはまぎれもない真実でしょう。

どれだけ感情をコントロールする訓練を積んだとしても、

自分の大切にしているものを傷つけられそうな危機が訪れたとき

その人の咄嗟にとる行動が、全く感情に左右されないなんて考えにくいですから。


例えば、カエルが嫌いだという人の目の前に、突然カエルが現れたとしたら、(カエルさん、ごめんね)

その人は悲鳴をあげたり、逃げ出したり、顔をゆがめたりして、不快感をあらわにするでしょう。

こころに起こった変化というものは、態度にも、言葉にも、表情にも、

その人が発するなにがしかの情報すべてに反映されるはずです。


もしかしたら、嫌いなものを拒絶して、まったく反応を示さなくなることもあるかもしれません。

しかしながら、いくら無関心を装っても、相手が未知のものでもない限り、

そんな偽装は周囲に見透かされてしまいます。

さらには、打って変わって攻撃性を示すかも知れません。

こうなってくると、もはや、感情の固着とでもいいますか、自らの弱さを露呈しているに過ぎません。


逆に、好きなものを目の前にしたときの人の反応などは、言うに及びませんね。

説明抜きに、その人の感情の変化を読み取ることができます。

これだけでも、感情が人にとってどれだけ大切なものなのかわかります。


前置きが長くなりましたが、

人が人に対して、なにがしかの反応を示すということは

常に相手を感じて活動している証であり、

相手なり自分なりが、すでに他方の一部に含み込まれている、

つまり、感情の対象が、すでにその人の一部になっているということなのです。

これは好き嫌いに関係なく、そして例外なく言えることでしょう。




お盆に帰ってきた御霊を労うのは、

人と人との間にある思慕の念を大切にする文化です。


みなさん、

人との関わりをなにより大切にしましょうね。

あなたのなかにいる誰かを思う気持ちが、きっと誰かを幸せにします。

人の思いを尊重することこそ、誰とでも気持ちよく接することのできる秘訣だと

ワタシは思ってます。


イメージ 1
(盆提灯のイメージで、実は牛さんのお店)


そんなことを思った、お盆のはじまりでした。。