コミニュケーション

8月11日(月)

高校野球が始まりました。

ツー角と同じく、台風の影響で土曜日の開催は見合わせられましたが、

2日遅れで無事に開会です。


今更ですけれど、

高校野球がこれだけ広く愛される理由ってなんだろうと考えると、

やはり、球児たちのコミニュケーション力の高さに

こころを強く揺さぶられるんだと思います。


何年かごとに怪物と呼ばれるような逸材が登場して大きな話題となりますが、

大半のチームには、そんな抜群の功績をあげられる選手がいるわけではないんですよね。

逆にそんな選手がいるからといって必ず優勝できるわけでもないですし。


チームの強さって、個々がどれだけ結び付いているかにかかってますよね。

実際にチーム競技をされている方ならよく分かっておられることでしょう、

自分の背後を任せられる味方がいるからこそ、自分のプレーに集中できるんです。

自分勝手な思いや、相手を見て切り貼りするような飾りの信頼ではだめなんです。


集団で活動するときの効率は、コミニュケーションの質の高さに比例します。

これは個人競技であったとしても、同じことがいえるはずです。

どれだけ個人の競技能力が高くても、周囲でサポートしてくれる人たちとのコミニュケーションが

円滑でなければ万全のコンディションは保てないでしょうから。

自分を輝かせてくれるのは、周りの人たちの配慮があるおかげです。

逆をいえば、周囲へ配慮できない者は、一流の輝きを放つことはないということかもしれません。


球児たちのことばを聴いていると、

監督への信頼、チームメイトへの信頼、親兄弟や、応援してくれる人たち、

地方大会で対戦した相手のことまで気づかった言葉を発しています。

これを言えと言われて出てくるセリフのようには感じないのは、

そんな人とのつながりを自分のこころで感じているからだと思います。


10代後半の青年たちの中に、

人をこころから信じること、自分だけで何かができるわけでない「わきまえ」が宿っているからこそ、

その姿が、美しく、気高く、みえるのだと思います。


ずば抜けて才能豊かな選手でも、自分のことだけを見ているうちは、

なにかアンバランスなものを感じますし、そういう選手の起用には心ある監督ならひと工夫するはずです。

入団当初の日ハム中田は、そこを言われてましたものね。


誰しもそういう稚拙な部分を持っているはずですが、

人とのコミニュケーションを通じて、そういう乳臭さをそぎ落とされ洗練されるからこそ、

質実ともに一流となるのでしょうね。

ひとから誉められたり、ちやほやされるくらいで舞い上がってるレベルとは違って、

ほんとうに洗練された人たちはとにかくぶれません。


年齢を問わず、この人尊敬できるなあと感心するときに共通しているのは、

何にもとらわれず、その人が自分の立つべき場所や言葉をきちんと選んでいるからです。




嗚呼、なんと気分次第の行動が多い自分でしょうか。。

イメージ 1
(野球場の芝をイメージしつつ実はMIZUHO


「とらわれ」のない高校球児たちの美しさに学ぶものは多いですね。