いいドライブ

8月3日(日)

きのうは瑞穂の山で遊んで楽しかったのだけど、

ブヨにかまれたらしい場所がどんどん腫れて痛いと痒いが同時に起こっています。

左手と右足は、1,5倍くらいに赤く腫れてます。

塗り薬を求めに近所のコスモスへお買いものに行きました。

コスモス、この存在が庶民にとってどれだけ大きなものか、

山小屋にこもるようになってから非常によくわかります。

山小屋地方にはドラッグストアっぽいものはあるけれど、

そんなに安くないし、品数も多くないのです。。


薬を買ってレジで待っていると、

うしろに並んでいる親子づれの会話が耳に入ってきました。





子:おとーさん、おなか痛い感じがするんよ。

親:ほら、みてみー。昼をちゃんと食べんからじゃろうが。

子:アイス食べよったもん。

親:アイスじゃだめーや。ごはん食べんとおなかの調子もわるーなる。

子:でも、痛い感じがするんじゃもん。

親:じゃけー、ちゃんとご飯は食べんにゃいけんちゅーこといや。

子:・・・・。

親:なんで昼をちゃんと食べんかったか。よいよー。ご飯をちゃんと食べんにゃいけんのがわかったか。

子:・・・・。

親:わかったか?わかったんか?



こんなやりとりでした。

お子さんは小学1~2年生くらい。

よくある場面ですね。夏なんだな~と感じさせます。

なんでこんな場面をとりあげたか。。

勘のいい方はわかったかもしれませんね。。











ワタシが気になったのは、

おとうさんとお子さんの「ズレ」でした。


聞きながら、

おっとっと、塗り薬の代金は897円ですか、はいはい。。

ワタシの番だったな。。。聞き耳立てるほうに気が向いてて、財布を落としたりしました。。

その親子に、すみませんとかいいながら会計を済ませましたよ。

ワタシも迷惑成人のひとりです。。。





で、その「ズレ」ですが、


お子さんの発言からすると、訴えたかったのは

「おなかが痛い」ことのようです。

それに対して、

おとうさんは「昼の食事をちゃんととらなかった」ことで返しています。

お子さんの昼の様子をちゃんと見てないと言えないことですよね。大切なことです。

だけれども、

なんだかズレている。。。

違和感の原因はどこにあるのでしょうか。



駐車場に出ると、さっきより雨脚が強い。。小走りでクルマに戻り、

さっさと乗り込みたいのに、あとからきた隣との車間が狭くてドアを開けるのに手間取るてまどる。。

なんとかクルマに乗り込み、

雨をぬぐいながら考えてみると、

どこがズレてるのか、少しわかってきました。。


ズレは、

おなかが痛い「今」について、昼食をとらなかった「過去」で答えようとしている部分にある。


つまり、

お子さんは、「今」まさに自分におこっている問題を訴えているのに対して、

おとうさんは、「過ぎた出来事」の問題点をとりあげて、お子さんに反省を求めている。。

「今」の問題に、「過去」の原因をぶつけている。。

これ、実はかみ合ってないですよね。

過去の原因をぶつけて、解決できるのは過去の問題でしょう。

しかも、この場合、ほんとうの解決ではなくて、あくまでも過去への説明や意味づけです。

この子に今おこってる問題は解決しないはずです。



お子さんが、しばらくおとうさんの話を聞いたあとに発言しなくなったのは、

反省しているからでしょうか。。

知恵のついたオトナなら思ってなくても「ごめんなさい、すみませんでした。」と場をとりくろうのでしょうけど、

子どもは正直ですね。。すぐに態度に表れます。。

おそらくは、

今自分に起こっていることを聞いてもらえない不満の表れが「沈黙」という表現だったのです。

お子さんにとっては、もう修正できない過去のことを引っ張り出してこられて、

大人の論理性でもって、くどくど諭されるのですから、たまったものではありません。。

しかも、わかったか?と、何度も駄目押しされて。。

こういう展開になると、あきらめるのが早いのは子どものほうですね。。ある意味賢い。


わかったか?と聞かれてるのに、ぼーっとよそを見てるお子さんの目がそれをよく物語っていました。

お子さんが自分の思いを汲んでもらえたと感じていれば、

反論できないまでも、おそらくはおとうさんのほうを見て話を聞いているでしょう。




いまどきの子どもなんて言い方はふさわしくないんですが、

あえて言うなら、これからの子はとても繊細な子が増えていくんだと思います。

生の体験や感情のゆらぎみたいなものを受けとることに対して、

耐性を持たない子が多くなる気がします。

コミュニケーションの大半を機械がこなすような環境が、

幼いころから存在しているのも一役かっているかも知れませんね。

少なくとも、ワタシの思春期には、大事なヒトからの電話に親が出て取り次ぐとか、

そんな、もやっとじわっとくるシステムが存在していたおかげで、

なんとも言えない気まずさを日常的なコミュニケーションから学びつつ、

それでも人と渡り合うという経験を重ねることができました。

いまどきの子に、こんな感情をしっかり味わえる環境や余裕があるんだろうかと思います。。。





こんなことを踏まえて、「今」を訴えるお子さんに、おとうさんが最初にすることはなんだったのだろう?

と、ワタシはやっかいな宿題をもらうわけです。。

おとうさんはたぶん、自分が受けてきた指導や教育をそのままやってるはずなんですが、

それでは子どもに伝えたいメッセージが届かないのだとしたら、

態度を変えるべきなのは、おとうさんのほうなのかも知れません。。

賢明な策はなんなのだろうか。。。

子どもはいつも同じ答えなんてしないでしょうから、それこそ一期一会、

場面ごとにそのとき最上と思える言葉で返すしかないんだけれども。。。


なんてことを考えながら運転していたら、

とっくにうちに着いていました。。。




沈黙している子どもがいたら、そのコの態度をよく見てあげよう。。

自分でなにかを変えることができないから、沈黙しているんでしょ。それはやっぱり不幸です。。


イメージ 1




雨降りでしたけど、

いいドライブでしたね。

あー足がかゆい。