この文章のタイトルは

5月26日(月)

この作業はとにかくわずらわしい。

ずぼらな性格であればあるほど、その度合いを増していく。

一日の始まりとともに、毎朝これをおこなう男性たちがいる。

幸いにして私には、何かの節目でも訪れない限り無縁な作業だから、彼らに比べればいくらか気は楽である。

そうは言っても、あわただしい朝というのは、やはり好きになれない。


その作業は、まず大きく広げることから始める。

広げてみないことには、通すべき口が見つからないのだから仕方ない。

ようやく入口をみつけたところで、順番に通していく。右からでも左からでもそれはあまり重要ではない。

左右とも通りさえすればそれよいのである。

考えなくていい部分は極力考えない。これが毎日この作業をこなす男性たちの最初の学びになるだろう。


次の作業、これも大いに煩雑である。

私に限って言えば、この作業がもっとも苦手なのだ。

それは上から下まで、およそ六つか七つくらいだろうか、下手をすれば八つになるかもしれない。

この数を見ただけで早くも気分が悪い。さっそくにでも、一服入れたい気になる。

だがしかし、特急列車のように駆け抜けていく朝という時間はそれを許してはくれない。

重い気を取り直し、七つか八つかのこれらをひとつずつ、両手の指をつかって丁寧に重ね、

ことさら小さな口をめがけてその頭を通し、ひとつずつをきちんと出してやらねばならない。

ここで大切なのは、ひとつとして頭の出るべき位置を間違えてはならないという点である。

これができなければ、その日会う人の皆に笑われ、惨めな時間を過ごすことになる。

おおよそ私たち庶民というものは、そのような陵辱に耐えられるほど忍耐強く作られてはいないものだから、

この作業を終えたあとは、すぐに鏡の前に立ち、念入りに自分の姿を確認しておく必要がある。


すべての「頭出し」作業が終わると、いよいよ仕上げの作業が待っている。

これは「頭出し」に比べればいくらか楽な作業であろう。

いくら慣れても「頭出し」の作業には、毎日同じ回数と、同じだけの時間が必要になるが、

仕上げの作業は、慣れてしまえば度で済む作業なのである。

決められた順序通りに、巻きつけ、折り合わせ、通すべき輪にくぐらせればあっという間に出来上がる。

覚えてしまえばいくらか楽しめるようになってくる作業でもあり、実は奥深いものが潜んでいることをうかがわせる作業である。

楽しめるようになってくると、ここでも重要な点がある。

それはセンスというものである。念を押しておくが扇子ではない。いくら煽いでも涼しくはならない。

そうではなく、人に自分をより良く見せる、

誰にでもこころよく受け入れてもらえるような印象を演出し品の良い佇まいを創造するための感覚である。

人は飽きっぽい動物である。

いつも同じで変わりばえしなければ、大切な人たちにもすぐに飽きられてしまう。

真の大人の男性に、そのような野暮ったい振る舞いは望まれないものだ。

故に、大人の男であるためには、それらに細心の注意を払い、

色や形、結び方、他の持ち物とどう組み合わせれば品よく映るかを、熟知しておく必要がある。


ここまでの作業をおよそ2~3分の間に済ませてしまわなければならないのだから、

世の男性たちの朝というのは、まことに忙しい事この上ないのである。















さて、ここまで読んでおわかりいただけましたでしょうか。

この作業の集合体が何を意味するものかということを。

出だしからずっとモヤモヤしっぱなし。

読み進むにつれて、だから、それはなに?という、主語を求める欲求が高まりつづけます。


ええ、もちろんこの作業群には、ちゃんとタイトルがあるんです

タイトルを知って文章を読むと、なんだそれだけのことか、と思うんですけどね。



よくよく身の回りを見回すと、

いつも先に答えありきの問題なんて少ないんですよね。


鍛えられた医者が問診や症状観察から病気の原因を見抜くように、

熟達の漁師が、天候や潮目を読んで魚の群れの行先を見事に探し当てるように、

物事の断片的な情報を手繰りよせ、統合し、判断する能力。

こんな能力、みなさん、どれくらい鍛えてますか。。
















ちなみに、

この文章のタイトルは、

「Yシャツの着方、ネクタイの締め方、とその心得」

というそうです。



へへっ、わかったかな。