裸の王様

どうも、Tさんの弟です。
 
「裸の王様」は言わずと知れたアンデルセン童話のひとつです。
 
チンカラトン、ハタリンコン
 
 
ワタシの知ってるあらすじは↓こんな感じでした。
 
(以下、Yahoo知恵袋からの転載)
 
昔、偉い王様がいましたが、パレードのために最高級の洋服を仕立てました。

洋服屋は「これは○○という最高級の生地を使ったもので」などとうんちくをたれますが、洋服などどこにもありません。

洋服屋は最後に、「あ、それとこの服は馬鹿には見えない生地でできているのです。」と言いました。
それを聞いた王様は慌てて「いや、いや、これは何とも立派な服だ。」と言い、周りの家来も、「全く、王様にお似合いの素晴らしい服です。」などとヨイショします。

パレードでは、その話を知っている観衆も口々に「王様の服は、素晴らしい。」「全くだ。これまで見たことのないような立派なものだ」と称えました。
 
ところが、事情を知らない子どもが「王様は裸じゃないの?」と言いました。
 
これで我に返った観衆も一転して、「そうだ、王様は裸だ。」と言い出した。というものです。
 
自分が裸だと気づかない、周囲の人間も、そのことを指摘しない、出来ない、指摘する人間を置かない。
 
要は自分にとって為になる苦言などを言ってくれる人を置かない、困った人のこと。
 
自分が言ったりやったりしていることは正しいものだと勘違いしているというような状況を指します。
 
(以上転載)
 
 
なんだか社会風刺のきつい童話だなという印象しかなかったのですが、
 
劇団四季の「裸の王様」を知り、また違う作り方もあるのだなと知りました。
 
寺山修司の描いたシナリオで演じられています。
 
演劇などにあまり触れることはないんですが、そういう娯楽を観覧するときって、
 
作者の美的感覚とか信条・信念みたいなものに触れてるんだなと思いました。むろん合う合わないの波長は、受け取る側のそれぞれで違うんだけれども。。
 
 
最近、寺山修司について少し読んだんですが、豪胆なというか、駆け抜けるように人生を送った人たちの話をおもしろく読めています。
 
 
なんとなく読んだものから思いもよらない発見をしますね。