G-day と最近の所感

1月14日(月) 成人の日
 
お食事中の方、申し訳ございません。。。
 
まれに、ごくまれにですね、通過の滞る時期がやってくるんですよ。
 
一昨日ぐらいからそんな感じだったので、
 
昨夜は意を決して酸化マグネシウムを4錠くらい飲んで寝てみる。
 
これはお腹が痛くならないのでありがたい。
 
 
今朝は、突然もよおして起床。
 
っしゃー。ダッシュ
 
・・・・。
 
セ~~フ。
 
 
飲みすぎたね。。
 
なかなか止まらん。
 
 
タッチ&ゴーを繰り返す。
 
夜間訓練にならなくてよかった。。
 
 
 
ようやくおさまってきて、すっきり。
 
と、思ったら、おおおおおぉぉぉぉぉ。。。。
 
龍神丸ではないのよ。
 
 
 
 
 
 
 
ようやく、落ち着いてきた。。
 
わりと短期決戦ですんだので良し。
 
 
 
 
すつれいいたすますた。
 
 
 


 
昨夜は楽しみにしていたNHKスペシャル放送があった。
 
生きて泳ぐダイオウイカの姿に感動し癒される。
 
神秘的な世界がまだまだあるんだね。
 
抜かりなく録画もしといたので、とつぜんダイオウイカを見たくて疼きだしても大丈夫。
 
 
 
 


 
 
 
癒しといえば、
 
 
 
 
一部マニアにしかわからない、
 
 
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こういう写真で癒されることもある。
 
王子。
 
今年もあの夏がやってくる。。
 
熊本阿蘇の熱い夜。
 
 
 
 
 


 
ニュース見てると
 
体罰で生徒自殺なんて話題。。
 
 
体罰とかさ、、
 
教師がね、どれだけ「愛情をこめてなぐった」とか言ってもね、
 
立場の強いものが弱いものに向かって手をあげてる時点で駄目でしょ。
 
たかが教師の立場で、教え子に向かって手を上げるとか論外な行為でしょうが。
 
金もらってるしごとで、
 
必要があれば自分の業務対象者に暴力を振るうとか、意味がわからんです。
 
教師って資格は、人を殴ってもいいなんて法外な許可でも与えてるのか。
 
どれだけ暴力をしつけとして正当化しようが、
 
ただの自己満足だよ。
 
言い切る、そんなのただの自己満足。
 
拡大解釈も甚だしい。
 
知恵の尽きた証拠だろ。
 
見たことあるでしょ、知恵の尽きた人間がすること。
 
それは闘争、紛争、戦争。不毛な行為、負の連鎖。
 
言葉より先に手が出るような輩は、そっこく教師なんてやめてしまえ。
 
いくら普段きれいごとを言ってても、そこで本性が出るんだよな。
 
閾値の低い、ちょっとした陽動でキレちゃうようなダメなやつは、人に偉そうに言う資格なし。
 
 
殴った子どもの一生を見る気でもあるのかい。
 
こどもに手を上げるんなら、職や信用を失う覚悟があんのかい。
 
んなことに深い考察もなく、その場の勢いで安易にやってるでしょ。
 
殴られる者のいたみなんか、わかってないでしょうが。
 
 
けんかでもして逆に人を殴ったときも、なにか釈然としないモヤモヤした気持ちが残る。
 
自分のしたことを振り返るからそういう気持ちが湧いてくる。
 
そんな記憶はワタシにもある。。
 
 
 
生徒を自殺に追い込むほどの体罰、殴った一発いっぱつに、こういう振り返りの思いがあったのか。
 
たぶん、ないな。。だから、何発も殴れるんだろう。
 
 
 
 
一度でも殴られた子どもは、それを忘れんよ。
 
わたし自身もそういう覚えがあるし、みんなあるでしょ、そういうの。
 
殴られた理由は別にして、殴った相手とその行為は忘れない。
 
殴られるとね、あたりまえだけど体とこころがいっしょに傷むのだよ。
 
 
 
 
 
 
唯一、受け入れることができるとすれば、
 
痛みを与えられる以上に、おもいやりや優しさを与えられていることが前提だろう。
 
それならば殴られたあとに、その理由を振り返る気にもなるだろう。
 
暴力をしつけとして受け入れられるか。
 
それを判断するのは、
 
殴る側でなく、殴られる側なのだよ。
 
暴力を振るう側がそれを論ずるのは許されん。
 
 
 
 
ごく一部なのかも知れないけど、
 
それでも、教え子を殴る教師は減りゃしないな。
 
ちょっと自粛はするだろうけど、またすぐおきるよ、こういうこと。
 
 
 
 
人に手をあげる人間にどれだけこんなことがわかってるのだか。。。
 
躾と称して暴力を振るう正当な理由があれば、その根拠を示してもらいたい。
 
まあ、どんな理由であれ暴力行使は知恵の敗北だと、先に断っておくが。
 
 
ひとごとではない。教員云々は別として、
 
自分にもこういう状況が起こらないよう、内省の習慣を持たないと。
 
 
 
 
 
 
 
なんて、な。
 
 
 
 
 
つづく