なるほどね
いまきれいなのは
ねむの木だろうか。
見ごろのピークを過ぎているかもしれないが、
あわただしい通勤中に、ずいぶん楽しませてもらっている。
風呂に入って帰る。
この気持ち良さといったら、
うまく形容できそうな言葉を思いつかない。。
で、
最近よく通う風呂屋のコインロッカーの上には
いつもこんなものが置いてある。。
誰かの忘れものだろうと思っていたのだが、
あちこちに置いてあるものだから、
どうやらこれは誰かの忘れ物というわけではないらしい。。
なんだろう?とは思ってはいたが、
どこやらのじい様が
孫の手代わりに使うんだろうとか、
昭和世代には懐かしい
部活のせんせーが常備していた気合注入棒だろうか、
いやいや、平成盤ってこんなに細いのか?
いまの世の中で使うのはこんなサイズなのか?
まてよ、この細さは逆によくしなりそうだから、
かえって皮膚にめり込んで痛いんじゃないのか?
とか、あることないことをひとしきり考えて楽しむ。
実際、昭和世代の方々は短い木刀みたいなやつで
指導者に尻を引っぱたかれた記憶ってあるでしょう?
とくに疑問を感じることなく、そんな教育を受け入れていた世代の最期くらいか。。
いま思えば、恐ろしく理不尽な経験をしていたものだ。
それにしても、
なんなのだろう?
おそらくワタシの知らない使い方があるんだろうが、
さっぱり考えつかない。。
知らなくても困りはしないが
耳元でうなる羽虫のうっとうしさと同じくらい、
じわじわと精神に働きかけてくる
やっかいな問題に出会ってしまった。
などというくだらない思考に終わりをもたらしたのは、
突然入ってきた小学低学年くらいの子どもだった。
有無を言わさず、
いきなり解答を見せてくれた。。
ははん。。
ついうれしくなってすぐ真似をする。
なるほどね。。
コインロッカーのいちいち閉まっちゃうイライラを
見事にすっきり解消してくれる重要アイテムだったわけか。。
この何分間かのモヤモヤを一気に解決してくれた子どもよ、
ほんとうにありがとう。
君がいなければ想像力の足りないおっさんは
「平成の気合注入棒は細くなって威力抜群、昔よりきつい一発をおみまいできる」
とか、間違った解釈のまま風呂を出るところだった。。
風呂屋を出て
きれいな夕焼けに出会う。。
夕暮れ、雨のやみ間の数分間。
空の色は二度と同じにならない。
夕焼けは、いつも何か大事なことをいっているように感じる。。
小さな声だけれども、忘れちゃいけないことをいっている。
小さな声にこそ、潜んでいるものがある。。
そんな気がする。