どうもしてやれんかった

このところ戦時中の体験談を聴く機会が多いんです。

いま聞くのは、もちろん70年前に終わった戦争の話。


※余談※

わざわざ「70年前」と書くのは、2015年の今に生きておられる世代の方々から
聞く話だから。

ワタシの先輩方が現役バリバリで活躍された30年前(1980年代)、

そのころ80歳代のお客さんたちが語る戦時中の体験というと、

第一次大戦の話も混ざっていてややこしかったそうです。。

そうですよね、1920年前後に青春の多感な時期を過ごされた方にとって、

鮮やかな記憶として残る戦争は、第一次大戦ということになるんです。。

第二次大戦の始まったころは、すでに40代がみえている世代。。

おおよそ100年前の戦争と、70年前の戦争と、

両方を体験された方がお客さんの大半を占めた時代もあったわけです。

先の大戦」と言ったとき、

「どっちの大戦?」という質問が帰ってくる時代があったことを

忘れてはいけないんですよね。。

※余談終わり※



90代男性より

「むかし僕は海軍にいて、昭和19年当時、フィリピンのレイテ島あたりで、哨戒艇に乗っていました。激しい戦になだれ込む間近のころです。夜明け前、海上にいたとき、私の乗った艦は敵の魚雷にやられて撃沈しました。反撃する暇なんかないし、敵の姿すら見えない。見えない敵にやられるのはほんとうに恐ろしかった。
夜明けに不意をつかれたものだから、船内におる者は甲板にも出られず、通路で血まみれになって倒れる仲間を何人も見ました。
私のおった場所は、着弾個所から一番離れた船尾近くだったので、大した負傷なく艦上に出られました。黒い煙と大きな炎があがって、どなり声があちらこちらから聞こえました。混乱極まる状況です。
もう戦う気力なんてありません、命が惜しくて残った仲間と右往左往するだけでした。間もなく退避命令があり、残った者は艦を捨てて、後の戦闘に備えるため陸に戻って命を繋げと言われました。
陸と言われても、島から10km以上離れてましたから、怪我をした体で、簡素な浮具だけで海に飛び込むのは、もう絶望的な状況でした。
それでも、命を繋げという命令だったから、仲間と一緒に無我夢中で陸を目指して泳ぎました。波はそれほど高くなかったけど、泳ぐというても、怪我してますからね、どうにもこうにも進みません。すぐに動けんようなって海に浮かんでました。
海に浮かびながら、これからのことを考えました。どうしてか、私は生きることを考えていました。いまから思えば不思議なことでした。なんで、あそこで未来のことを思うたのか。
そんなことを思っていたら、仲間の誰かが「フカが来た。足元にフカがおる!」と声をあげました。はっと顔を上げて周りを見たら、水しぶきと、おおきくて青白いサメの背中が見えました。
血まみれの人間が大勢、海の上でバタバタ動くんだから、サメにしたら見つけてくれというようなものでしたね。
全部で15人くらいの仲間がおりましたが、輪の外側の者からサメに食いつかれて、海の中に引きずり込まれました。一回じゃ引きずり込まれんのです。何度か、咬みつかれて、海の上に血が流れて広がって、動きが少なくなってから引きずり込まれていきました。
私はさっきまで、未来のこと、生きることを考えておった自分の甘さにそのとき気づきました。いま私の目の前におるサメが、私の「死」そのもので、私はもうすぐ死ぬんかと思うたら、情けなくなって涙が止まりませんでした。
海の中に引きずり込まれて溺れる仲間が声をあげるんですが、その者は私らに向かって「逃げー!はよ逃げー!」て、言うんです。自分のことじゃのうて、最後まで、私らを逃がそうとがんばりよる。それを聞いて、泳ぎながらまた涙が出る。

どうにかして助けてやりたいけど、どうもしてやれんのです。。
目の前で死んでいく者を、どうもしてやれんかった。

漁船に拾われたのは、それから何時間も泳いでからでした。
3名だけ助かりました。後は途中でわからんようなりました。
それから陸に戻りましたが、怪我のせいで戦には復帰できませんでした。

引き揚げてからも、あの海の上での体験がずっと頭から離れません。
今でも忘れんのです。これは忘れられません。」



どうもしてやれんかった。。

戦時中の体験を聞くとき、この言葉を多く聞きます。

生の体験を聞くと、ずんと重たく残るものがあります。

残しておきたいと思いました。