後輩の書

以前、見せてとお願いしていた

後輩の書を見せてもらった。

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晩唐時代の詩人、李商隠(西暦812年~858年)の代表作だそう。

全体はもっと大きな作品なのだけど、サイズの都合で冒頭一部を抜粋しました。

作者自身が経験した恋愛とその別れを叙情的に綴った詩だそうです。



「書」なんて、全く縁のないワタシには、

ここに書かれた文字についてどうこう言えるわけはないのだけど、

芯が通って堂々としている様だとか、

紙に自分の分身を書き落とすために必要な集中力だとか、

そういうものを感じずにはいられない。。

こんなことができる後輩を尊敬します。

20代前半の若者は、一見寡黙だけれども、

その内面に素晴らしい輝きを放つ、尊い何かを持っています。

裏表のない、伸び伸びと活躍する人になっていけるだろうと思います。

ま、ワタシが余計な心配しなくても、

この後輩は、自分で何か掴み取ってどんどん成長していくはずです。

すぐに追い抜かれるなあ。と危機感さえ覚えます。


あなた、20代前半なんてどんなことしてたよ?と聞かれたら、

恥ずかしくなるようなことばかりだよ。。としか答えられないです。。

少なくとも、こんな芯のある自分を描くことはできなかったと思いますもん。





で、

ちょっと調べていると、

この「李商隠」という人と「獺祭」という言葉がつながっていることも知りました。

なんでも、この人は詩を作るとき、たくさんの書物を机いっぱいに並べていたそうで

あたかも、獺(かわうそ)が捉えた魚を並べるという習性に似ているということで、

その様を「獺祭」と呼び、あだ名を獺祭魚とされたのだそう。


お酒のそれとどういう関係があるのかは知りませんが、

ひょんなことから見聞きしたことのある言葉の由来を学ぶことができました。


人から学ぶ、人をまねぶ。

年齢や経験なんて、あまり関係ないなあ。

自分の「とらわれ」にいつも振り回されてます。。