わらじと水桶

しごと場でお客さんから

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手編みのわらじを頂戴しました。

どこにでもあるタコ糸で編んであります。

わが社に滞在されている間に、少しずつ編んでいたそうです。

なんとタワースタッフ全員分。。。

デスクの上で、老眼をかけながら細かいことやっておられるなということは

薄々気づいてはいたんですが、この「しごと」には驚きました。


なんでわらじを編んでくれたのか尋ねてみると、

「迷うても、履物の替えがあったら、安心して歩けるじゃろ。迷わんようにじゃのうて、迷うてもええようにこさえたの。」

五足もあれば、確かに安心。

短い答えでしたけど、気持ちが温まるには十分な言葉でした。

誰がだれに支えられているのか、ちょっとわからなくなりました。。







夜遅く、しごと帰りにサウナによって

たっぷり汗をかくとすっきりした気分で休めるんです。

ええころ熱気の中で汗をかき、

熱しきったところで水風呂に入るのがもうたまりません。。



15分間の熱気地獄から飛び出して、水を浴びようとしたら、

あれれ、いつもは何個か水風呂の脇においてある手桶が、

どういうわけか今日に限って置いてないじゃないかと、

軽く校舎の窓ガラスでも叩き割って歩いてやろうかと思うほどの

幼いイラが出そうになったところで、

ま、しょうがない。ちょっと洗い場まで取りに行ってくるかと、

自分の中のオトナを取り戻そうと努力しながら、

くらくらする頭を持ち上げて水風呂から離れようとしたそのとき、

水風呂の水面をつぅ~~と滑ってワタシに近づいてくる洗面器がひとつ。。


おお、やはり神はおられた、こんな身近におられましたか、ワタシはあなたを探していましたと、

半分、正気を失ったような気持ちで滑りくる洗面器を受け止め視線をあげてみると、

湯気の向こうに見えたのは、ワタシよりひと回りくらい年上にみえる兄やんの

にやりとすべてをわかっていたかのような、え・が・お。。


わかる者にはわかるもの。言葉はなくてもわかるもの。

その洗面器でざばざばと水をかぶって、ずぶずぶと水風呂に沈みながら

ありがたくお借りした洗面器を向かい側におられる兄やんに向かって

これまたにやりと笑いながら小さな会釈を交わしつつ、

届いたときと同じように水面をつぅ~~っと滑らせてお返しする

この人情的なやりとりが、

ワタシを心底幸せな気分にさせたのは言うまでもないことなんだなあ~。



湯気がすごくて、よくみないと、全然みえないんだよね。

みようとしないと、何にもみえない。。

「洗面器」はいろんなもの運んできたな。