ワタシは誰かを必要としている

8月28日(木)

自分と人との関係を考えてみる。

考えるなって?

いえいえ、バカは気が済むまでやるんです。

はい、


そもそも、自分のことを振り返ってみますと、

若い時はね、(いまも若いけどね)

他人の世話になりたくないとか、ひとりで生きていけるとか、

誰の影響も受けないぞ、とかそんなことを思いましたよ。

自分を万能のように感じていました。

青年期っちゃ、そんなもんよね。。


ま、しかしですよ、

こんな偉そーに使ってる「言葉」という道具だけみてもさ、

自分で作ったもんじゃないのよね。。

「言葉」を覚えて使ってる時点で、たっぷり人の影響を受け、人の恩恵にあやかってるんです。

「言葉」の根本を作ったのはたくさんのご先祖さまだし、

こうやって好きなことを言えるのは、

それを大切にワタシのとこまで届けてくれた人たちのおかげです。

人の影響をまったく受けない人っていうのは、この世にいない。


「相手があることで自分が成り立っている」


こんな簡単なことに、なかなか気づけない時期がありました。



おかしな言い方かもしれませんが、

人は他からの影響を受けるために存在している。なんてのは大げさでしょうか。。

「受信」と「発信」の機能を比べてみたら、

生き物って、圧倒的に受信器のほうが発達してるわけだし。


おそらくですけど、

「完全に内発的な思考」ってのもないんじゃないかと思います。

かならず外からなにかしらの刺激や影響を受けて、考え始めるんじゃないでしょうか。。

まったく周囲の環境に左右されない思考ってありえるのか。。

ないな。

もし、仮にそれがあったとしたら、

その場合、前提の共通したコミニュケーションって成立しないね。



A:やっぱり昨日の「広島」は強かったね。

B:そうですか、「広島」って、じゅーじゅー熱いほうがうまいですよね。



2人が出会って、互いの会話に登場する言葉の意味について確認しあう、

意思を送受信して感じあう機能がなかったら、

こんな会話がそこらじゅうに溢れるのではないだろうかね。。



受信:相手の言ってることを理解する。

送信:自分の言いたいことを主張する。


この二つの機能は、ふたつでひとつ、互いに欠くことのできない機能です。

付け加えれば、送信機能の精度は受信機能の性能に左右される。ということが言えるでしょうね。





なにを言ってるのか、だんだんわかんなくなってきましたけど、

つまり、ワタシは誰かを必要としている。ということですね。






ええと、

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必要なのは、こいつだっけ?

それにしても、

こんな写真を送信してくるヤツは、

どーかしていますね。。

でも、なんかかわいい。

この子の行動については、「保護者」として説明しなきゃいけないかなとも思いますが。。。

それよりも

奥の目、、「育てのおとーさん」の目がよいよーいけんね。。






あ、

ひさびさに食べるこれ、

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おいしい。。

なかなか見つけられんかったのよね。。

タクちゃん、買ってってあげるから、待っておきなさいよ。