回りました
2月18日(火)
なんかね、ひっかかってきました。
朝起きて、ぼや~っとラジオを聞いてたら
「時刻は8時27分を30秒ほど回りました」と、お知らせコメントがあってから曲にいきました。
ワタシの頭ん中には、すぐにアナログ時計の秒針が浮かび、
31~32秒あたりをするぅ~りと通りすぎる様が見えました。
うちの壁にかかっている時計は、秒針がカッチカッチと動くやつでなく、
ぬぅーーって静かに回っていくタイプなので、そういう図が浮かびました。
余談ですが、うちには時計が多いです。ワタシのでなく、父の趣味でした。
リビングにいれば常に2個は見えます。トイレ、お風呂、洗面所、玄関、台所、寝室の各所にあります。
壁掛けだけで十数個。。たいした数ですね。
もう30年使ってるSEIKOのクウォーツ時計、これはほとんど狂いませんね。たぶん年間で数秒です。
日本の技術すばらしいです。日常でこれ以上の精度はいらないですね。
話がそれました。
「時刻は~を回りました」という表現で、スムースにアナログ時計が浮かべば問題ないですが、
デジタル時計が浮かべばまだしも、
端的にあらわすなら
「時刻は8時27分30秒を過ぎました」とでも言うんでしょう。
ここに「回りました」という表現が組み込まれると、
語り手の中にある時計のイメージを、聞き手が想像して共有する作業が生じます。
ふだん何気なくやってることですが、
イメージの共有、コンセンサスを得る作業ができないと、なにひとつことが運ばなくなります。
学問的に探求し尽くされてたり、なんだかいかがわしいセミナーで取りあげられやすいテーマですよ。。
例えばラジオみたいな媒体で語り手と聞き手が意思を通わそうとする。こういう作用。。
世の中に漂ってるこういう見えない作用ね、
ほんとーに煩わしいんだけどね、、
ま、そういうことよね。。。